naota’s diary

アニメや漫画の感想を好き勝手に解き放つ感想妄想ブログ。男女とかBLとか夢とか感想に擬した自分語りとか入り乱れているのでご注意を。

『ゴールデンカムイ』を289話まで読んで

ついに最終決戦だとか

ついに金塊見つけただとか

色々あるけどやっぱり叫びたいのはあれ。

 

 

 

いご草ちゃん!!!!!!

 

 

276話の「エビフライ」

いや〜〜〜

まさかの菊田さんと杉元が知り合いだったとか

勇作さんの童貞を大勢で奪おうとしてただとか

色んな面々がすでにエンカウントしてたとか

「出るかっ!? ダメ顔クロス・フォーク!!」とか

 

色々あるけど、

 

もう! 

 

いご草ちゃん!!!!

 

 

え〜〜〜〜〜〜!

 

ちょっと私の読み込みがあってるかわかりませんが、

ずっとさ、

・いご草ちゃんは東京の三菱財閥の御曹司に嫁いだ説

は鶴見中尉の嘘なのかなって思ってて。月島を引き込むための。

 

いご草ちゃんの遺体が月島家の床下から見つかっただの

それは月島を死刑から逃れさせるために鶴見中尉が演じた嘘だっただの

でもそれも月島をさらに引き込むための鶴見中尉のしこんだものっぽかったので

 

結局、

 

・月島の死を聞いて悲しみのあまり海に身投げ

・月島は死んだと聞かされ東京の御曹司に嫁ぐ

・月島父に殺され床下に埋められる

・月島父に殺され床下に埋められたと見せかけ実際は東京に嫁ぐ

・月島父に殺され床下に埋められたと見せかけ実際は海に身投げしてた

 

のどれが本当かわからなくて

読者にとってもいご草ちゃんは生きてるとも死んでるともわからなくって……。

って状態だったけど、

 

この276話を読んで、

 

あ!!!

いご草ちゃん!!!(感涙)

 

ってなるっていう。

顔は見えてないし名前も出ていないけど、あの可愛らしいくりくりくせっ毛の後ろ姿は間違いなくいご草ちゃんですよね??!!

 

生ーきーてーたー!😭✨

 

 

なんだ、なんだなんだ、

じゃあつまり、鶴見中尉が最初に刑務所内で月島に話した

・いご草ちゃんは東京の三菱財閥の御曹司に嫁いだ説

が本当だったんだねって。

月島にとっては真相わからず辛いままだったけど、いご草ちゃんはきっと幸せに過ごしていたんだねって。

 

 

菊田さんのセリフ、

 

女は好きな男を塗り替えるもんだよ

梅ちゃんがいつまでもお前のことを一番に想っているなんて

そりゃ高慢ちきだぞ

 

を読むと、もう「はじめちゃん」のことなんか、忘れちゃってて、東京に染まって暮らしちゃってるんだろうなぁって。

だってまぁ三菱財閥の御曹司のとこに嫁いだことが本当だったら、はじめちゃんは戦死したって聞かされたところまで本当なんだろうしなって。

いつまでも亡くなった幼馴染のこと、想ってないよなって。

 

そう思うと、やっぱり切ねぇぇぇぇってなるしちょっと悲しくなるけど、

とりあえず生きてた。ってことで、ねぇ。

 

 

そう思うと、「はじめちゃんのお墓に埋めてください」って渡された髪も、鶴見中尉の用意した偽物だったか? とか思ってたけど、あれも本物だったのかなぁとか。

 

 

 

あーもう、原作は今最終決戦の真っ最中で、今後月島といご草ちゃんが絡む話ももうないのかなぁ月島は本当に知らないままなのかなぁな感じですけど。

どこかで何か月島にも救いがあるといいなぁ。

その前に最終決戦でどうなるんだハラハラ な感じですが!

 

 

 

 

RE-MAIN面白いなって話。

でも見てるとプール気持ち良さそう! 海行きたいぃぃぃぃぃ泳ぎ行きたいぃぃぃぃ!

ってなってきて別の意味で見るのが辛いアニメ。

 

 

先輩が1人だけだった水球部。新入生をかき集めて大会に出るぞ! な部活ストーリーが主軸でありながら、合間に絶妙に入ってくる記憶がらみの話が面白い。

部活ストーリー単体でも面白いのに、そうだ、主人公記憶なくしてるんだよなって。

 

 

↑これ3話の感想かな?

見ているだけで、「泳ぐの気持ち良さそうぅぅぅぅ!!」ってなってすごい。

 

 

 

正直ごめん、ウッシー絶対途中でブッチするんだろうな〜って思ってたから、まさかの早朝に一人黙々と練習してたなんて……! で、なんてひたむきな子なんだ! と。

 

f:id:k_naota:20210823182212p:plain

 

いなくなった牛窓くん探す面々の絵面。

競泳水着を着る系部活の男子が身近にいたことないんですが、休憩時スタイルとしてこれが普通なのかな。

 

 

見た時、

 

「下!! 下!! 履いてないよっ?!」

 

ってなってしまった。

あぁでも女子も水着の上にそのままパーカーやTシャツ着たりするよね。見慣れているか否かの問題かぁ。

 

 

 

 

「繊細さん」とオタク活動

『「繊細さん」の幸せリスト』という本を読んで、あまりにも最近の自分の活動にドンピシャだったので。

 

 「深く考える幸せ」

繊細さんはひとつのものをみて、瞬時にさまざまなことを思い浮かべます。他の人が「そこまで考えないよ」というような細かなことまで、特に意識しなくてもぱっと思い浮かべる性質を持っています。

 

なんかこれを遺憾なく発揮してしまったことある気がする。

ってかこれあてはまるオタクって多くないですか。天才の発想とかしょっちゅう見かけて感嘆してます。

 

 

何か思い浮かんでは、ひたすらそのことを考える。

そういうのを、今までは「こういうのを考えたところで、なんともならないし、なんにもならないし」って思っていました。

特に私の場合、絵とか小説とか「作品」的なものを生み出さないタイプの人間なので、こうして誰も読まないブログでもんもんと一人考えたことを書き綴るのってなんのアレにもなってないよなーと。

 

たけど、「楽しいから」って理由だけでいいんだな! って。

 

 

 

これのことです。

 

なんかもう、書きながら楽しくてしょうがないとなりつつ、ふと「私何やってんだろう……」って思いが頭をよぎるのもまた事実。

 

特に、原作完結済みでまだ追っかけている途中という時期に書いているやつのなので、原作ではこの年表の謎な部分とうに判明してるかもしれないって中で。

 

 

 

ってのがまさにの感想なのですが、「それでいいんだよ!」って全肯定してくれる本でした。

 

 

 

SNSは繊細さんと相性がいいらしい

この、内向型やHSP系統の本を読むと高い頻度で出てくる「SNSと相性がいい」という話。なんなら自分を保つためにやりましょうと促されることもあります。

 

  • ただ「好き」を発信する
  • 「仲間」と出会う

 

というので、いい流れになるよって話ですね。

 

けれど、私はSNSが超苦手。

毎日とんでもない量の情報がば〜〜〜っと流れていて途方もなくなる感じとか、頭がいっぱいになってしまうし、

炎上したり誰かが言い合ったりしてるのを見るだけでもしんどくなる。私と関係ない話題で私の知らない人たちだったとしても。

どこかに書き込んだりしたら最後、相手からどんな反応返ってくるだろうかとかいいねがつくつかないとかを異常に気にしてしまう。

正直、疲弊しかしない。

 

なので普段は意識的にSNS見ないようにしております。

発したい熱があった時のみ自分のアカウント開いて呟いて閉じる。

フォローするのも公式アカウントばかりで、それも公式情報を得るためだけだったり。

 

SNSというか、交流が苦手。

最近ようやく、自分の場でのみ発言とかできるようになったけど、なかなかまだ人と交流ができていない。

こうしてブログやったりTwitterやったりしていますが、気持ち的には誰もいない大海原の孤島でひっそり好き勝手やっている感覚です。 

 

なので、なんの気無しに呟いたTweetがめちゃいいねされてて(当社比)めちゃビビるとか。

 

ついさっきもはてなから「今月ブログのPV100超えたよ!」って言われて「ひゃああぁぁぁぁぁ!!」ってなったりとか。

 

こんななんで、本が推奨しているように仲間を見つけて豊かに過ごせるんでしょうかという。

 

ちなみに、いいねやアクセスが嫌だってわけではないです!

ただコミュ障だからビビってるだけなんです!

いつもありがとうございます!

 

 

よく「〜〜と繋がりたい」タグを見かけますが、

え、繋がったら何が起きるの? どうしたらいいの?!(挙動不審)

 

って感じで。

 

どう振舞ったらいいかわからない! となってしまうんだけれど、ありのままの自分で振舞っている状態で共感してもらえて、それで集まってきた人たちだからこそ「繊細さん」にあう仲間になるであろうってことなんでしょうね。

 

わかるんだけどビビる。

 

 

けど、好きなものを好きって好き勝手に発信しているのは、そう、本当に楽しいです。

 

最近ようやくこの「ただ『好き』を発信する」ができるようになってきたので、一歩一歩なのかな。

 

「思ったことを飾らずに書く怖さ」

わかるわかる!

好き勝手に書くぞーと思って始めたこのブログも、「こんなこと書いていいのかな〜」って躊躇ったり。

そのために、このブログのタイトル下やTwitterのプロフィール欄には「好き勝手書いてますよ!」ってわざわざ断りを入れたり。

 

ただ、断りを入れたおかげか、あるいはそう決めたからか、ゆうて割と本当に好き勝手書いています。

 

漫画の感想とかを書いていて、「自分の人生ではこうだったなー」っていうゴリゴリの自分語り感想なんかも、読んでいる人はカケラも楽しくないだろうなって思いつつ、自分がその感想や思いを抱いたのなら、書きます。

 

解釈違いとかもしてたら嫌だなーと思いつつも、自分がそう思ったらそう滾ったら、書きます。

(そうして気づくのは、オタクの友人と面と向かってオタ話する時も、知らず知らずのうちに解釈違いを恐れるあまり探り探り話していたなーと。)

 

 

恐がりつつも、

思ったことをそのまま書く。

なんかそうするとすっごく気持ちいいんですよね。

 

naota.hatenablog.com

 

↑こちらにも書いた通りですが、

特に、日常生活ではオタクであることをひた隠して生きているから、思いっきり「好きだーーー!!」ってのを発散できる感ってのは気持ち良かったりします。

 

が、まさに。

 

あとで読み返してみて、「あーそうそう。ね〜。」と、その時の感情だとか思いだとかに浸れて心地よかったり感慨深かったりして楽しいんです。

 

 

なんのために書いているっていったら、この千切れんばかりに溢れ出る熱の発散と、後で読み返して浸れて楽しめるために、なのだなぁと。

 

現在の自分のためと、未来の自分のため。

 

 そしてある日導き出した一つの結論がこちらです。

 

 

ありのままで! 生きていこう!

 

 

 

ようやく見つけた居場所

そうこうして、約1年ほど続けてきた当ブログ。

意図せず「自分の居場所」みたいなところに昇格してきていて、本当に大切なものを見つけたなぁと、しっぽりしていました。

けれどどこかで「こんな生産性のないことに時間を使っていていいのか」と思っていたのも事実で。

そんな最中に読んだ本でした。

 

 

いいんだ!

アニメ見まくって推しキャラの人生に思いを馳せて考えまくってブログに感想書いてたら数時間経ってる! とかやってても、それが楽しければいいんだ!‼︎ って。

 

今ならもうオタクに突き刺さる武ちゃん(『ハイキュー!!』に出てくる武田先生)の言葉も、もう何も恐くない。

 

 

そんな感じで、許しと肯定を与えてくれた本です。

要約みたいなのうまく出来ないんですが、一言でいうとすっごく良かった!

ピンと来た方は是非。

 

 

 

「繊細さん」って? HSPって? というのを詳しく知りたい方はこちらの本もおすすめです↓

 

 

 

 

 

気づいたらブログ100記事超えてる

アニメや漫画のこと好き勝手に書くブログ作るぞー! と作ったのが去年の8月。

約9割をハイキュー!! の感想が占める状態になっておりますが、いろいろなことを書いて気づけば先日100記事を超えていました。

 

f:id:k_naota:20210802113550p:plain

 

フルバの記事が記念すべき100記事目だったみたいですね。

 

f:id:k_naota:20210802113554p:plain

一番ヒートアップしていたのが今年の2月。

在宅勤務なのをいいことに、お昼休み時間に毎日アニメ見て毎日感想を書くという至福の日々。

 

今までの人生で、「継続」をきちんとできたことがなかったのですが、この2月の記事を書いている最中に、「私、毎日続けているな」という実感を持てたことがあります。

冷静に振り返ると実際に毎日継続できたのは2週間とかなんですが、その2週間くらいですら感動しちゃうくらい、三日坊主の人生だったんですね。

 

このブログは「毎日書くぞ!」とかは決めずに好きな時に好き勝手書くと言うスタンスでやっております。

が、この2月の頃は

ハイキュー!! を見たい。そして感想を細かに残したい。」

という思いから、自然と

  • お昼の時間に見る。
  • その後感想を書く。

というルーティンが出来上がりました。

夜だと色々用事とかでやらんくなっちゃう時があるからね。

 

そうしたら、気づいたら毎日(たった2週間だけど)続けられている! あれだけ三日坊主だった私が!!!

 

という状態になり。

 

この感覚を横にスライドさせたことによって、別分野(健康とか仕事とか)で「毎日やって習慣にしなきゃな」って思っていたことが習慣化できるようになってきました。

 

数多のビジネス書を読んでも身に付かなかった「習慣化」を身につけさせてくれた『ハイキュー!!』。素晴らしき作品です。

 

 

ハイキュー!! も一旦見終えて、ブログ更新しない日々の方が多くなってまいりましたが、これからも好き勝手のんびり書いていきます。

 

 

『ハイキュー!!』原作を最後まで読んで感想と自分の人生を振り返る

ちょうど1年前の7月にアニメ1期を見始めて。

じっくり楽しみたい vs 早く続きを見たい のジレンマに本気で悩みながらも、アニメ4期まで一気に見て、原作も最後まで読み終えたのが今年の7月。

あっという間の1年でした。

 

 

 

 

はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜

実は、まだ原作を読み終わって寂しすぎて実感がなさすぎて、なんならまだ終わってないとか思ってる。

 

けど、日々を過ごす中でふと

「あれ、ハイキュー終わっちゃったんだっけ……」

なんて思い出して、つぅんってなってます。

なんという喪失感。心にぽっかりと開いた穴。

 

記憶を消してもう一度最初から見たい読みたい。

 

 

 

春高編 

 

 

黒尾さんのこのセリフを読んだ瞬間、10番とか9番とかの意味かなって思ってざわざわしてしまう自分の脳みそをどうにかしたい。

f:id:k_naota:20210806150606p:plain

<英辞郎 on the WEB より>

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやー正直決勝まで行くのかなって思ってたからびっくりでした。

45巻で終わりってことを知りながら読んでたので、「あれ、あと4巻しかないけど足りる? あれ??」って思いながら読んでたらまさかの! で。

 

がっかりしてない日向

 あんま がっかりしてない

 

も~~~~~これ!!!

 

ハイキュー!!のドデカイシーンTOP3に入るよね。

なんかうまく表現できない、感動とは違うでも心の奥底でズンッと響く感じ。

すごいいいよなぁ。この、いつの間にか日向は「自分のバレー」をやっていたんだよねっていう。

 

そしてずーーっと気になっていた小さな巨人

私も少年のような心でずーっとキラキラ楽しみにしていたもんですよ。

どんな人なのかな。今どんなプレーしてるのかなって。

 

えー! 結構あっけない! ってなったけど、けど実際はそんなもんだよなぁって。

 

 

「世界は平等じゃなくて、平等だ」

 

の意味が実は最初わからなくて。

The world is not equal, but equal.

かと思って、どんな頓智? 哲学? と。

 

「世界は、平等でないって面で、平等だ」ってことですねきっとたぶん。

 

呪術廻戦の「不平等な現実のみが平等に与えられている」

と似た文法ですね。きっとたぶん。

 

スガさんは最後までスガさんだった

最後、旭さんにオープンあげられてよかったね。あんなに気持ちいい綺麗なオープン。

伊達工戦のあの時からをまたばーっと思い返してみたり。

感動したよ。最後の最後まで感動したよ。ありがとう。

ツッキーが抜ける局面で、山口を入れてって言いに行く姿。

ハイキュー!!の世界ではそんなことないことかもしれないけど、試合中に呼ばれてもないのにコーチのとこ行って提言しにいくって中々できないこと。でも彼は行くんだ。最後の最後までチームのために。

そして試合後の影山への言葉。

もーーー! この人は! 最後の最後まで! 人のことを想える人なんだ!!

 

あーーーーもーーーーー。

 

好き。

 

心に響いた名ゼリフたち

 

今日敗者の君たちよ 明日は何者になる?

 

試合は負けたら終わり。けど、その後は、人生は続いていくじゃん。

今日は負けたけど。で、明日は、明日からはどう過ごすの? っていうね。

 

負けは今の力の認識であっても 弱さの証明ではない

 

負け=弱い、じゃない。

負け=自分はダメだった、じゃない。

 

限界を超えるんじゃなく 限界値を上げていこう

 

限界を超えて無理して頑張っても、いっときは良くても、ずっとは続かないよね。

淡々と限界値を上げていくのが、大切なのかなーなんて。 

 

 

 

あっだめだっリアルの自分が今何に迷い生きているのかが、このセリフ列挙で如実に現れててちょっと恥ずかしい。

 

今がダメだからって、1回やってみてダメだったからって、全部がダメってことじゃないよね。

うん。めげずに頑張ろう。

 

人生を歩み続ける勇気をくれる漫画。それがハイキュー!!

 

 

海外編

 

避けていてもチラチラ入ってきてしまう今後のストーリーで、高校卒業後に実業団に入ることととか知っちゃってたんですよね。

けど、この日向がブラジルでビーチバレーするって話は完全に初耳で。

 

リオ??! って度肝抜かれつつ、海外編はすんげーワクワクしながら読みました。

 

日向とビーチバレーってめちゃめちゃ合いますよね。太陽が本当似合う!

 

海外にいて馴染んでいても、ふとした時に日本を感じるのとか、染み渡る。

財布を、しかも妹からもらったものをスラれたとか。たぶん日本でだったらなんてことなくはないけど、まぁでも「どんまい」で済むことが、この海外で一人で心細くとも生きてる中でさ。もう猛烈なダメージだよね。

そんな物悲しい時に見知った人、同じ故郷の日本の人に会うってので頼もしく救われた感じになるの。この及川さんが出てきた時の安堵感半端ない。

仲良く?ビーチバレーの試合やってるのとかいいよね!

初めダサダサにずっ転んでいたのにすぐに綺麗なトスあげてくるとか及川さんさすがすぎてカッコ良すぎる。

 

 海外での日向の部屋。烏野のジャージあるのがめっちゃいいよね。

海で瞑想する姿とか本棚に並ぶ栄養学の本とかさ。もう完全にアスリートだよね。

バレーをやるために、語学の勉強もして。

鬼の目にも金棒とかやってたあの子はどこに行ったのだと感慨深くなる。

 

数年後編

 

バレー組たちは、オールスターって感じでめちゃくちゃ熱いよね。高校時代戦った各チームの強い選手が勢揃いで、あの時敵同士たったメンバーが、味方同士だったメンバーが同じチームで違うチームで戦うとかめっちゃ燃える。

 

影山と日向、

一番最初の頃、大地さんに「中学ではネットを挟んで敵同士だったけれど、今は同じネットのこっち側なんだから〜」みたいな話をされていて、

そこからまたネットを挟んだ敵同士になったり世界大会の時はまた同じチームメイト同士になったり。

 

 

しかしカタカナ弱すぎてチーム名が覚えられない。

結局、最後まで「えっとなんだっけ……シュテルンビルト……」ってなってましたすみません。

 

 

 

俺の左手(ギフト)を守ってくれて ありがとう

 

がまた響いた名言。

人と違っているだとか、直せと言われることだとか、一見「劣っていること」に見えるでもそれはギフトなんだよっていう。

それを生かせることに巡り会えたのもまたギフトだけれども。

 

 

みんなの進路 
 

西谷がカジキ釣り職人っていうか、旅人になっているのがいい。

それを知る前は、てっきりバレー続けてるんだろうなーなんて思ったけど、

らしいっちゃらしいなーなんて。

だって烏野に来た理由も「女子の制服が可愛かったから」だもんね。

きっと「ここまでバレー続けてきたから」とかじゃなくて、その時その時の自分の思うままで生きていってるんだろうなっていう。いいな。

 

それにしても北極で現地集合っていうぶっ飛び案とそれを了承して実現させる旭さんの行動力ってか二人のこの関係性がいいよね。

しかしそこからエジプトへってどういうルートで世界を巡ってるんだ。

 

エジプトいいなー行きたいなー。

安宿を巡りながら「二人もこんなところに泊まったのだろうか」と思いを馳せながら眠りたい。

 

リオデジャネイロにも行きたい!

どっか適当な海辺のビーチバレーやってるとこに訪れては

「日向もこんなとこでビーチバレーやったんだなー!」

っていうゆるい聖地巡礼をまたしたいです。

 

 

 

ところで、みんなの就職先。

 

大地さん:警察官 ← むっちゃわかる

スガさん:小学校の先生 ← むっちゃわかる

旭さん :東京でアパレルデザイナー ←  ?!

 

が正直な感想です。

だって進学しないって言ってたからてっきり地元の企業とかに就職してると思ってたのに!

いつの間にそんなハイカラな感じに。

 

 

あと、縁下が理学療法士で、岩泉さんがアスレティックトレーナーとかも、わかるわかる!! って感じ!

 なんかいいよね、この人達は人を診る側があってるよねわかるわかる感!

 

あと個人的にKODUKENの生活がめっちゃいいなって憧れます。日本家屋とおこた。

でも西谷みたいに世界を周るのもいいなぁー。

 

生き方とか生き様がかっこいいなーってキラキラ憧れるのは西谷で、でも実際自分がやってて落ち着くだろうなって憧れるのはKODUKENな生活。

世界を巡りきった後に、日本帰ってきておこたかな。

 

 

ハイキューも人生だったなって

 

某アニメが「人生」と称えられておりますが、私はそこにハイキュー!! もそっと付け足したい。

 

日向たちが高校生の頃の"現在"から数年後が描かれて、それぞれがどう歩んでいるかって。

”それぞれ各々”なんだよね。「こうでなきゃいけない」なんてない。

 

宮兄弟の喧嘩のシーンのがまさにで、バレーやってたから強いからってバレー続けなきゃいけないわけでもないし、バレー続けていることが偉いわけでもすごいわけでもない。

「すごいが否か」とかではなく、ましてや周りの期待で決めるものでもなく、"それぞれ"が"各々"の道を決めて行くんだよね。

 

 

 

 

北さんのこの最後のセリフ。

 

 どや俺の仲間 皆すごいやろ

 

って、これがすべてだと思うのですよ。

 

 

試合に勝つとかバレーを続けているとか。

 

そういうのじゃなくても、「すごい」んだよなって。

 

 

なんか、ハイキュー!!はバレー漫画だけどバレーを超えた人生俯瞰のことも描いてくれている感じですよね。

 

あーーーー本当にいい話だった。

 

 

現実世界の”その後” 〜突如ぶっ込む自分語り〜

運動超苦手でスポーツマン精神がカケラもない私。

KODUKENのインドア生活に憧れるくらいですからね。

そんな私ですが、なんと中高6年間バレー部に所属していました。

 

これがなかなか、いい成績もいい思い出も残せずで、卒業後数年間は本気で引きずってました。

バレー関連に触れられないのはもちろん、アニメや漫画でも部活ものやスポ根ものはまったく受け付けられず、で。

なんなら「あぁ、こんなに楽しい『部活』も世の中にはあるんだ……」ってなっちゃって、『けいおん!』すらも見られない、みたいな。

 

 

卒業後うん十年経ち、流石に耐性がついてきて部活ものも楽しんで見られるようになってきた頃。

ある日「見てみるか」となんの気なしに、けれど半ば意を決してハイキュー!! を視聴。そしてどハマり。

 

 

あーーーーめっちゃかっこいい。

ボールの芯に手があたってゾクゾクする感じ。あった。あったなって。

途切れそう、途切れそう、ってなる中をギリギリで繋いでいく感じ。

 

 

 

あーーーーー。そうだ。

バレーって楽しかったんだ。

 

スパイカーもセッターもやったことがあるもんで、

まさに「ボール来た!」ってなる感じとか、それがうまいこと手にあたって全力で打ちこんだ時の高揚感とか。

自分の指から離れていったボールが綺麗な弧を描くトスとなった時の気持ちよさだとか。

 

 

忘れてたけど、ちゃんとバレー好きだったんだなぁって。

部活内でも楽しいことってあったんだなぁって。

 

 

万年一回戦負けで、常に負けても仕方ないよなぁってなる、まさに池尻のような部活人生であったけれど、

まさにこの回で、そんな私でもバレーやってました、バレー好きですって言っていいのかなぁなんて。

大会の1回戦で負けて去っていく何千の選手の中に、私もいたんだよなぁと。

 

 

なんか、このわだかまりを消し去って、バレーの楽しさを思い出させてくれたこの作品に、本当に感謝なのです。

 

 

 

 

そんな中、ある日古舘さんのWikipedia見ていたらこんな一文があり。

 

中学・高校時代はバレーボールに熱中していたが、良い成績を残せず未練が残っていた。そのため、漫画家を目指すと同時にバレーボール漫画を描くことを目標としていた。Wikipediaより

 

って。 これにもう衝撃を受けて。

 

 

片や未練を糧に作品をつくりだし、大勢の人に感動を与えている人。

片や未練を引きずり鬱々とした日々を惰性で生きている人間。

 

もう古舘さんめちゃくちゃカッコいいなって思うと同時に、

自分はめちゃくちゃカッコ悪いなって。

 

 

 

なんかそれで、「あぁ、私ももう一度頑張りたい!!」って思えて、なんか色々動き出せてみたり。

 

 

 

 

今日敗者の君たちよ 明日は何者になる?

 

 

が、まさに響く。

今まで、もう自分は駄目なんだってグーたらだったけれど、今日から明日から、どうにでも変えられる。

自分で自分を「すごいやろ」って肯定できるような生き方をしていきたい。

 

ハイキュー!! のキャラたちを見ていると「みんなカッコいいなぁ」って奮い立たせられる。

自分もこんな風にカッコよくありたい。

 

 

そんな感じ。

 

 

自分語り終わりっ。 

 

 

へし折られた二大推しカップル 

原作を最後まで読んで何が一番驚愕したかって

スガキヨ

龍ちゃん叶歌ちゃん 

という自分の中の2大推しカップルがへし折られたこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

あああああええええええっっぅtぅ

 

田中さんと潔子さん?!?!

何がいつどうなって何があったの!!

いや確かに春高の最後の試合の後、荷物持ちますよのシーンとかちょっと雰囲気あれだなって思ってたんですよ! 

その前も潔子さんが「田中はいつでも大丈夫ですよ」みたいなこと言ってたりとか!!

 

 

でも! でもさぁ!

あの!!! おててにぎにぎはなんだったの!!

マリア様だったの!!??

 

「結婚の予定はない」とか言いつつ、するんでしょニヤニヤ ってしてたのに!

なんなら部のみんなに内緒で付き合ってるんでしょ妄想とかもしまくってたのに!

 

 

Googleの検索予測に出てきたこれらの言葉も、f:id:k_naota:20210309220832p:plain

 

「あーなるほど、白鳥沢戦でのことねはいはい」って思いつつ、

 

 

内心、

 

 

「あらやだ!! 最終回で結婚するの?!

 やだ!!!(歓喜)」

 

ってしまくってたのに!!!

 

 

スガさんも必死で潔子さんの匂いを守っていたのにぃ!!

な ん だ っ た の あ れ は!!

 

 

今年は失恋しちゃった叶歌ちゃんだけども、翌年の春高でバレーも心も強くなった姿に龍ちゃんが思わず心奪われるとかって展開ないかなニヤニヤ って期待してたのに!

 

 あああああああああ無情! 無慈悲!

 

 

 

ついさっき「周りの期待とかでなく自分で決めた自分の道を進むのがすごいこと!」なんてドヤ顔で書いてしまっていましたが、

もうこの2大カップルにはめっっっっちゃ勝手に期待してましたもんね。

 

 

 

でもね、いいんです。いいんです。

だって、だって、ご覧になりました?

田中さんの隣に立つ潔子さん、めっちゃ幸せそうな顔して笑ってたんだもの……。

 

その笑顔があるのなら、私は十分です——。

 

 

 

まとめ

そんなこんなで本当にいろんな意味で楽しませてくれたハイキュー!!

終わってしまったことは悲しかったけど、本当にいい作品だったなーと。

 

アニメがまだ5期6期とあるはずだから、それを楽しみに今後も生きてまいります!

 

 

 

『フルーツバスケット』の思い出

フルバついに終わっちゃいましたねー。

 

 

フルバの最初のアニメ放送時が青春どんぴしゃ世代。

青いあの頃のもみくちゃなどうしようもない悩みを、フルバに救われたこと幾度となくですよもう。

 おにぎりの梅干しの話とか洗濯物の山の話とか由希くんと夾くんがお互いのことを羨んでいる話だとか、ずーっと心に抱きながらこの十数年間過ごしてきた。

このシーンめっちゃ泣いたなぁとかここでは友達とすごい語り合ったなぁとか。思い出もいっぱい。

 

 

記憶は不確かですが、フルバが当時のアニメ雑誌に「なんの起承転結もない平穏な日常アニメ」みたく紹介されていて、「確かに〜」って思った記憶があります。

あの頃、まだ日常もののアニメって少なくってファンタジー色が強いものが多かったんですよね、確か。

 

「確かに〜」って思ったあの頃だけど、大人になって見返すとこんなにも人間の心情を深く抉って描く話だったかなと。

あの頃はわからなかったキャラの反応や言動が、今になるとわかるーーーって心がじりじりしたり。

由希くんが慊人さんに逆らえない描写とか当時はよく理解できなかったけど、今では「わかる……」でしかない。

あと、紫呉さんってこんなにドロドロにヤンデレな感じでしたっけ。正直途中何度か「こっわ!」って思いながら見ていました。当時はカッコいい大人の人としか見てなかったな。大人ってだけでカッコよかった。単純。

 

紅葉くんは昔も今もぼちゃぼちゃに泣いたよ。あーーーーー紅葉くーーーーん!!!

楽羅ちゃんも心に響きすぎる、辻褄合わせの恋!!

 

 

 

そう描かれていたか、それとも読み手の自分の頭が単純だからなのか、始めは透と由希くんがくっつくと思っていたんですよね。

後に夾くんとくっつき始めた時、ちょっと驚いたのを覚えています。

当時は、夾くんの素直になれない心理だとかを読み取る感性を携えていなかったので、

「この男の子、怒鳴ってばっかり。透のこと嫌いなのかなー><」なんて思っていたものだから、余計。

 

この最後に透と由希くんが二人で話すシーンを見て、じんわり来てしまうのを感じて、やっぱり最初この二人から始まったよなっていう懐かしさみたいなものを感じてしまいました。うまく言えないけど。

みんなでわいわい見送るシーンで現代が終わるんじゃなくて、この二人が話すシーンで終わるのが本当に良い。

 

 

 

 

TVアニメの制作事情ってものを全然知らないんですが、2000年代の頃のアニメって原作がまだそんなにない頃にアニメ化されて、

原作に追いついちゃってブツリと途中で終わるか、アニメオリジナルが描かれて2期とか続けようもない形で終わってしまうか、が多かった気がします。たまたま見ていたアニメがそういうのが多かっただけかもしれませんが。

あってもOVAとかで続きが出て、子供には手が出せずもう続きは見られないものだと諦めたものでした。

2001年のフルバのアニメも、途中で終わってしまって寂しかった記憶が。

その頃の印象があってか「アニメは途中で終わるもの」っていう認識がいまだに強いです。

 

そんな中、10年とか20年とか経って原作の最初から最後までこうして描かれるのってすごいことだよなーって。

 

何がどう動いて、「もっかいフルバアニメ化しましょう」ってなったのかは全然わからないけど、本当にありがとうーーーって思う。

2001年のアニメもめちゃくちゃに好きだったけど、新しいアニメもめちゃくちゃによかったです。

ありがとうぅぅぅぅ!!!

 

『呪術廻戦』16巻まで一気読みした感想

※0巻〜最新16巻分までのネタバレあり

 

 

いや〜。

 

 

 

しんどいね!!!

 

 

アニメ見ておもしろいな楽しいな理解を深めたいなと思って、最新刊まで一気読みしました。

 

が、

 

え……辛……っ

 

って感じで、私このままこの先読み続けられるのかなって心配なくらい。

 

 

 

↑この世の辛さをまだ知らなかった頃の無邪気なツイート。

乙骨憂太が現代の1年ズとわいわい絡む図とかも楽しみにしていたのに。

 

 

f:id:k_naota:20210722144449p:plain

先生の顔の形とは、図の赤線部分。この角度の斜め顔とか真横顔とかをものすごい見入ってしまうん。

芥見さんの絵柄に惹かれてるのかなって思ってたけど、目に止まるのは先生の顔ばかり。なんでだ。

 

 

あと17話の扉絵の先生と悠仁が同じポーズとってるの可愛くて好き。

またこうやって細かく感想を書き綴っていこうと思っていましたが、

渋谷事変特設サイトを早く見たいがために一気読み。

また戻ってゆっくり読み直して感想綴ろうと思っていましたが、ちょっと今もうショックがでかすぎて。

 

 

 

 

 

 

通しで読んで思ったのは、

最初の頃に感じた五条先生の印象って本当に氷山の一角だったんだな〜と思うくらい、

どんどん先生の人間性というか内面が出てきてどんどん印象が変わっていく。

そしてどんどんハマっている気がする。

 

気づけば渋谷事変で

「先生がっ……! 私の知っている現実世界を歩いている……!」

ってテンションあがっちゃうくらいにはハマっています。

 

雑踏の中、先生に触れた一般人や先生にぶつかった一般人に対して

ずるい……!

とすら思ってしまっています。

 

 

f:id:k_naota:20210611150849p:plain

 

 

 

 

 


16巻まで読んで色々辛いんですが、何が1番辛いって

傑さんがすでに死んでたってこと。

 

過去編を読んでこの人いい人だなーってなって

呪術高専界から離反した理由はなんだろ〜って気になってたけど

予想していたよりさらに辛みな感じで

あぁでもきっと最後には和解して先生とまた仲良くやってくれないかなーって

勝手にハッピーな展開を期待していたため、もう驚愕でしかないというか。

 

なんか、結局和解できないまま死別しましたっていう展開が後からやってくるより、

実はもうすでに存在していない人だったんですってのが、もうこたえる。

 

 

0巻読んだ時、先生は最後 とどめ刺さなかったんだ〜って思っていたけど、

なんなら偽夏油の額の縫い跡、0巻ではなくて1巻ではある、だったので

相当先生にやられたんだな……とか思ってたけど

 

とどめ刺してたんだね……っていう。

親友を……自らの手で……! っていう。

あぁっ……辛っ……!

 

そんな経験を経ての現在の先生の飄々とした姿とか見るともう! もう!

 

 過去編明けの現代に戻って1年生たちが先生のところにやってくる描写もう尊すぎだよね。

あぁもう一年ズ!

 

 

 あとナナミンは生きてるって奇跡を信じてる。

くぅっ……‼︎

 

 

 

 

ところでですけど渋谷事変の特設サイトかっこいいですよね。

今ってこんなにアニメーションみたいな動きつけられるんだぁ〜と感動。

先生が吹き抜け降りていく箇所とか無駄に上下しまくってしまったよね。

 

どういう仕組みで動いているんだろ〜って色々探ってみるけど、なるほどわからんです。

f:id:k_naota:20210611155705p:plain

 

GSAPっての使ってるっぽい?

確かにページのソース見るとひたすらimgが並んでいるだけだもんなぁ。

めっちゃ作ってみたくなってきた。