naota’s diary

アニメや漫画の感想を好き勝手に解き放つ感想妄想ブログ。男女とかBLとか夢とか感想に擬した自分語りとか入り乱れているのでご注意を。

なんでこのブログをやってるんだろうって話

アニメや漫画の感想を好き勝手に解き放つこのブログ。

改めてなぜ書いているのかの理由を綴ります。

超日記です。

 

 

ただただ好きなものを好きって叫びたい

このブログの存在意義というかこういうつもりで作りました、は1番最初に書いた記事にも書いた通り。

naota.hatenablog.com

  

でもやっぱり、アニメや漫画が好きー! って言えないことが窮屈で。 

あー! 語りたい!

考察とか評論とかそんな堅苦しいのじゃなくて、ただただ好き勝手に「これ好きだったわー」って喚き散らしたい!

 

実生活ではほとんどいないオタク友達。

数少ない貴重なオタク友達も、奇跡的にジャンルが被れば相手してくれるけど、

そうでなかったらもうこの昂る感情を1人で処理するしかない。

 

それのぶちまけ先として開設いたしました。

 

あの時これ見てたわって思い出に浸りたい

もともと普通の日記は長いこと書いています。

後から見返しては「この頃こんなこと考えて過ごしていたな〜」と感慨に浸るのが好きで。

 

それを、アニメや漫画にしぼって、

  • あ〜この頃このアニメ見ていたな〜
  • このアニメ見てこんなこと考えていたな〜
  • あのアニメに影響されてこんなこと始めたな〜

とかを、振り返りたいなと。

 

 

途中からすっかりハイキュー感想ブログになってしまっているけど、

元々は「この時期これ見てたんだな〜」っていうアニメ視聴ライフログ的な感じにしようと思って開設しました。

 

  

新鮮な感情を残したい

その時思った感情って、その時に残さないと、どんどん上書きされて自分でも忘れていってしまうんですよね。

 

例えば、先日ユーリ!!! on ICEを久々に見返したんですけど、やっぱり初めて見た時の感動や思ったことって、忘れちゃってる。もっとめちゃくちゃ感動して色々心打たれてたくさんのことを考えたはずなのに。

 

あるいは覚えてはいるけど、それをリアルに感情をのせて文字に起こすことはできない。

文章が下手くそで、よく「ああああーーー!!」みたく叫ぶだけの感想を綴ってしまうこともあるけれど、それすらその時の感情の揺れ動きをよく表しているんだよなぁって。

"あの時感じたあの感情"を、そのままの形で残せるのってその時だけなんだよなと。

なんか、それを残したい。

 

改めて見ても、このシーンこう思ったな〜っていうのしか書けなくて。

それはそれで、深く噛み締められていいんだけどね。

 

勇利とヴィクトルの関係性も、最終話までいっているとその状態をすんなり受け入れてしまっているわけだけど、最初の頃は、じわじわと変わっていく2人の距離感に、ドキドキしていたはずだよなって。

 

ついこの間見たハイキュー!! だって、1回目見た時と2回目見た時とで、また感想や感慨深さが変わってたりする。

 

そういう、1話1話を新しい目線で見て変異していった自分の感想とか

最初に見た時はこうだったな、とかっていうのを、残したいなって。

紙の日記を掘り起こせばちょいちょい書き残してはあるんだけど、散乱してるからどこかにまとめたいなって。

 

あとやっぱり「感想をぶちまける用」という専用の場があるのは、書きやすいなって。紙の日記だと日常や人生やその他もろもろ色々なこと書いちゃうので。

 

単純に書いていて楽しい さらに読み返して楽しい

純粋に。

なんでこれ書いてるんだろう? って思うと単純に楽しいから。

好きだーって感情を撒き散らすのも楽しいし、それを後から読み返すのも楽しい。

 

この読み返すのも楽しいっていうのは、書き始めてから気づいて、自分でもびっくり。

 

でも、だって確かに基本楽しい時の自分しか詰まっていないわけですからね、このブログ。

 

 

自分が書いた「このシーン最高だったわ」っていうのを度々読み返しては

「わかる!!」ってのを自分でやるっていう、

三者から見るとこの人友達いないの大丈夫? って状態を延々とやれるんです。

 

自分としては燃費のいい遊びを見つけたなぁと非常に満足であります。

 

 

チラシの裏でもいいわけだけど 

じゃ、なんでそれらをわざわざブログで公開してるのって話で。

そのまま紙の日記や感想専用ノートでいいじゃんチラシの裏でいいじゃん誰が読むんだこのブログって中で。

 

特に、好きなものを好きに書く! って決めたつもりなのに、色々気にしぃで「こんなこと書いたらNGかな?」って迷って、ブログに書かずに紙の日記に書くこともあったりして。

 

オンラインでも引きこもりコミュ症だから、ちょっとアクセスがあると「ひぃっ!」て思ってしまうくらいだから、誰かと積極的に交流することを目的にしているわけでもない。(積極的に目指しているわけではないだけで、あったらあったでそれは嬉しいです!)

 

なら、なおさらなんで誰の目にも留まるネットに公開してるのって話で。

 

なんか発散しきれない

単純に、紙の日記に書いていても発散しきれない!

 

今のところほとんど誰も訪れていないブログなので、誰との交流もなくなんの反応もなくなので、紙の日記に書いているのとほぼ変わらない状態です。

 

でも、紙では抑えきれなかった何かを、ブログでは発散できる。

何が違うんだろう? わからないけれど、確実に大きな違いがあります。

 

紙の日記だと、一人内省に向かっていくものだけれど、

オンライン公開だと

「みんな聞いてーーー!!!! 私はこれが好きなのーーーー!!」

って外に向けて発散できる感覚があるからなのかな。

 

特に、日常生活ではオタクであることをひた隠して生きているから、思いっきり「好きだーーー!!」ってのを発散できる感ってのは気持ち良かったりします。 

 

自分がこう思っているんだっていうことを表現するってのは、こんなに面白いことなんだなって。

 

自分しか読まない日記だと、なぜかそれは出来ない。

やっぱり可能性が0なのと、もしかしたら読まれる可能性があるのかもしれないってのとでは、違うのかなぁって。

 

読まれて、「何書いてんだコイツ」って思われたらどうしようってビクビクしながらでもあるんだけれど。

 

 

こんなにも好きだったということを残したい

最近気づいた、もう一つの大きい理由。 

これが好きなんだってことを伝えたい。残したい。

「この作品は、これだけ凄かったんだよ!」って。

 

世の中には色々な表現方法っていうのがあって、その作品を好きな人がそれぞれの「好き」を絵やイラストや小説や動画でだったりと、それぞれの表現で残している。

私も残したい。

 

今、私にはこのブログで文字で綴るしか表現方法がない。

だから書いているのかなって。

こんなにもこの作品・この話・このキャラ・このシーン・この台詞に、心震わされ感動し、時には翻弄されてたんだよって伝えたい。

私なんかが残さなくったって、いい作品はいい作品だし認知されまくっている人気作品ばかりだけど、それでも言いたい。

 

 

 

ちょっと前に、「あなたがネットに残したものを10年後誰かが読んで楽しめるかもしれない」っていう旨の言葉を読んで。

 

そういえば、私も2020年にハイキュー!! にハマり、初期の頃の感想だったり二次創作だったりを探しては楽しんでいたなぁって。

 

自分の好きなものを同じように愛でている人の様子を見るとまた楽しいっていうか。

時空を超えて、8年前にも同じ様な感情で同じようにこの作品を楽しんでいた人がいたんだなって。

 

 

だから、私が残したこの文章も、いつかどこかで誰かが 読んで、一寸でも「わかる〜」と思ってくれたら、あるいはそんな素敵な作品があるんだって知ってくれたら、それはとっても嬉しいなって。

 

そんな感じなのかもしれない。