『「繊細さん」の幸せリスト』という本を読んで、あまりにも最近の自分の活動にドンピシャだったので。
「深く考える幸せ」
繊細さんはひとつのものをみて、瞬時にさまざまなことを思い浮かべます。他の人が「そこまで考えないよ」というような細かなことまで、特に意識しなくてもぱっと思い浮かべる性質を持っています。
なんかこれを遺憾なく発揮してしまったことある気がする。
ってかこれあてはまるオタクって多くないですか。天才の発想とかしょっちゅう見かけて感嘆してます。
何か思い浮かんでは、ひたすらそのことを考える。
そういうのを、今までは「こういうのを考えたところで、なんともならないし、なんにもならないし」って思っていました。
特に私の場合、絵とか小説とか「作品」的なものを生み出さないタイプの人間なので、こうして誰も読まないブログでもんもんと一人考えたことを書き綴るのってなんのアレにもなってないよなーと。
たけど、「楽しいから」って理由だけでいいんだな! って。
『「繊細さん」の幸せリスト』読んでて、「『この人たちはどんな人生を送ってきたんだろう?』と興味を持ち、(略)年表を作ってみる」ってあって、「よかった私だけじゃなかった!!」ってなってる。
— naota (@ka_naota) 2021年8月3日
これのことです。
なんかもう、書きながら楽しくてしょうがないとなりつつ、ふと「私何やってんだろう……」って思いが頭をよぎるのもまた事実。
特に、原作完結済みでまだ追っかけている途中という時期に書いているやつのなので、原作ではこの年表の謎な部分とうに判明してるかもしれないって中で。
「こんなに突き詰めて考えるなんて、自分はどこか変なのではないか」
— naota (@ka_naota) 2021年8月5日
ってのがまさにの感想なのですが、「それでいいんだよ!」って全肯定してくれる本でした。
SNSは繊細さんと相性がいいらしい
この、内向型やHSP系統の本を読むと高い頻度で出てくる「SNSと相性がいい」という話。なんなら自分を保つためにやりましょうと促されることもあります。
- ただ「好き」を発信する
- 「仲間」と出会う
というので、いい流れになるよって話ですね。
けれど、私はSNSが超苦手。
毎日とんでもない量の情報がば〜〜〜っと流れていて途方もなくなる感じとか、頭がいっぱいになってしまうし、
炎上したり誰かが言い合ったりしてるのを見るだけでもしんどくなる。私と関係ない話題で私の知らない人たちだったとしても。
どこかに書き込んだりしたら最後、相手からどんな反応返ってくるだろうかとかいいねがつくつかないとかを異常に気にしてしまう。
正直、疲弊しかしない。
なので普段は意識的にSNS見ないようにしております。
発したい熱があった時のみ自分のアカウント開いて呟いて閉じる。
フォローするのも公式アカウントばかりで、それも公式情報を得るためだけだったり。
SNSというか、交流が苦手。
最近ようやく、自分の場でのみ発言とかできるようになったけど、なかなかまだ人と交流ができていない。
こうしてブログやったりTwitterやったりしていますが、気持ち的には誰もいない大海原の孤島でひっそり好き勝手やっている感覚です。
なので、なんの気無しに呟いたTweetがめちゃいいねされてて(当社比)めちゃビビるとか。
めちゃ行きた……。
— naota (@ka_naota) 2021年7月3日
「ゴールデンカムイ」特別展 国立アイヌ民族博物館で3日から|NHK 北海道のニュース https://t.co/qOS8f56OaB
ついさっきもはてなから「今月ブログのPV100超えたよ!」って言われて「ひゃああぁぁぁぁぁ!!」ってなったりとか。
こんななんで、本が推奨しているように仲間を見つけて豊かに過ごせるんでしょうかという。
ちなみに、いいねやアクセスが嫌だってわけではないです!
ただコミュ障だからビビってるだけなんです!
いつもありがとうございます!
よく「〜〜と繋がりたい」タグを見かけますが、
え、繋がったら何が起きるの? どうしたらいいの?!(挙動不審)
って感じで。
どう振舞ったらいいかわからない! となってしまうんだけれど、ありのままの自分で振舞っている状態で共感してもらえて、それで集まってきた人たちだからこそ「繊細さん」にあう仲間になるであろうってことなんでしょうね。
わかるんだけどビビる。
けど、好きなものを好きって好き勝手に発信しているのは、そう、本当に楽しいです。
最近ようやくこの「ただ『好き』を発信する」ができるようになってきたので、一歩一歩なのかな。
「思ったことを飾らずに書く怖さ」
わかるわかる!
好き勝手に書くぞーと思って始めたこのブログも、「こんなこと書いていいのかな〜」って躊躇ったり。
そのために、このブログのタイトル下やTwitterのプロフィール欄には「好き勝手書いてますよ!」ってわざわざ断りを入れたり。
ただ、断りを入れたおかげか、あるいはそう決めたからか、ゆうて割と本当に好き勝手書いています。
漫画の感想とかを書いていて、「自分の人生ではこうだったなー」っていうゴリゴリの自分語り感想なんかも、読んでいる人はカケラも楽しくないだろうなって思いつつ、自分がその感想や思いを抱いたのなら、書きます。
解釈違いとかもしてたら嫌だなーと思いつつも、自分がそう思ったらそう滾ったら、書きます。
(そうして気づくのは、オタクの友人と面と向かってオタ話する時も、知らず知らずのうちに解釈違いを恐れるあまり探り探り話していたなーと。)
恐がりつつも、
思ったことをそのまま書く。
なんかそうするとすっごく気持ちいいんですよね。
↑こちらにも書いた通りですが、
特に、日常生活ではオタクであることをひた隠して生きているから、思いっきり「好きだーーー!!」ってのを発散できる感ってのは気持ち良かったりします。
が、まさに。
あとで読み返してみて、「あーそうそう。ね〜。」と、その時の感情だとか思いだとかに浸れて心地よかったり感慨深かったりして楽しいんです。
なんのために書いているっていったら、この千切れんばかりに溢れ出る熱の発散と、後で読み返して浸れて楽しめるために、なのだなぁと。
現在の自分のためと、未来の自分のため。
そしてある日導き出した一つの結論がこちらです。
好き勝手撒き散らしているここやブログは元の自分に戻れる居場所なんだなぁって。だから心地いいのか。
— naota (@ka_naota) 2021年6月1日
ありのままで! 生きていこう!
ようやく見つけた居場所
そうこうして、約1年ほど続けてきた当ブログ。
意図せず「自分の居場所」みたいなところに昇格してきていて、本当に大切なものを見つけたなぁと、しっぽりしていました。
けれどどこかで「こんな生産性のないことに時間を使っていていいのか」と思っていたのも事実で。
そんな最中に読んだ本でした。
『「繊細さん」の幸せリスト』読了!
— naota (@ka_naota) 2021年8月11日
最近、表現的なものをするようになって、めちゃくちゃ楽しんでいながらも「こんなことに時間を費やしていていいのだろうか」とどこかで責めていた。けど、「いいんだ!!!」って思わせてくれた本。突き詰めて考えまくって「あ〜幸せ〜」ってやっていいんだって。
いいんだ!
アニメ見まくって推しキャラの人生に思いを馳せて考えまくってブログに感想書いてたら数時間経ってる! とかやってても、それが楽しければいいんだ!‼︎ って。
今ならもうオタクに突き刺さる武ちゃん(『ハイキュー!!』に出てくる武田先生)の言葉も、もう何も恐くない。
そんな感じで、許しと肯定を与えてくれた本です。
要約みたいなのうまく出来ないんですが、一言でいうとすっごく良かった!
ピンと来た方は是非。
「繊細さん」って? HSPって? というのを詳しく知りたい方はこちらの本もおすすめです↓