naota’s diary

アニメや漫画の感想を好き勝手に解き放つ感想妄想ブログ。男女とかBLとか夢とか感想に擬した自分語りとか入り乱れているのでご注意を。

ハガレン展で時の経過を感じセンチになった日

鋼の錬金術師展 RETURNS行ってきました!

 

展示会の純粋な感想じゃないです。

行って、20年前のあの頃を思いおこして色々おセンチになっちゃったという日記です。

けれど作品の内容にも触れているので一応ネタバレ注意で。

 

 

 

突如ガンガンに現れた漫画

当時、アニメから入った『まもって守護月天!』を読むためにガンガンを購入し始め。

スパイラル〜推理の絆〜』だったり『ジャングルはいつもハレのちグゥ』だったり『清村くんと杉小路くんと』だったりを好きになり、どちらかというと可愛かったりゆるかったりギャグだったりなイメージで、他の作品も楽しんで読んでいました。

そんな中、ある日始まった『鋼の錬金術師』。

初っ端からなかなかの描写だったりして、「雰囲気が違う」と驚きつつも一気に「面白い!」とひきこまれて行ったのを覚えています。

 

 

 

 

手に汗握ったあの日々

毎月毎月おもしろかったのですが、特にあれ!

アルが、自分は作られた記憶なんじゃないか? と疑問を抱き始めるところ!

病室で椅子からガターン! って立ち上がって、ついに追求するところ!

そこで、「次号に続く!」ってなっていて、「うわああぁぁぁぁ!!」ってなったのを覚えています。

割と本気で次号が出るその1ヶ月の間、「どうなっちゃうんだろう」ってずっと気にしていた。もう頭の中はハガレンでいっぱい。

 

もうそんなのが毎回毎回で、本当長い間楽しませてもらったな〜と。

 

 

 

そんな世界の中心だったのに

ガンガンを毎月購入して、読んでいたのは原作初期の頃。

ガンガンの印刷が手に移るから、指を真っ黒にしながら何回も読んだり、少ないお小遣いで単行本も買ってまた何回も何回も読んだり。

単行本のおまけページとかカバー下とか好きだったなぁ。

背表紙も細かくて好きでした。

スカーが神に対して言ってた「二つの魂がそちらに向かいます」みたいなセリフ、「おとんもか? スカー意外とやさしい!」と本編読んだ時は思ってたけど、この背表紙のネタを見た時に「そっちの二つかw」ってなったり。

 

友達にもコミックスを貸して普及させまくったりしていたのに、ある時から忍び寄る現実。そう、受験シーズン。

 

ガンガンを買うことをやめ、しばらくは好きな作品だけは単行本で追って読んでいたものの、大学に入ってから大学生活が忙しく完全に漫画断ちすることになります。

休みで実家に帰るたびに、その間に発売されていたコミックスを買ってきて、読んで、をしていたわけですが、やっぱりなんか感覚がズレる。

毎月毎読んでいたのと違って、一気にまとめ読みすることによって生じる濃度の違いというか。

単純に、1話分を1ヶ月の間何回も何回も読んで次の話を待っていたあの頃と、

単行本数巻分を一気に読んで、「ふぅ……おもしろい……!(が、情報量いっぱい)」となってすぐに現実世界に戻るこの頃と、って。

 

感覚的にリンとかメイ・チャンとか新しいキャラな感じなんですけど、登場時期を振り返ると全然そんなことなかったりするんですよね。

 

そんな感じで、大まかに連載の時系列順に並べられていた原画展の原画を追っていると、ほとんどが「私の知らないハガレン」で。

あの一番濃厚に読んでいた頃って、ほとんど最初の頃だけだったんだな〜と。

 

大学を卒業した後、社会人になる前にちゃんとコミックスも揃え終えて確かに読んだはずなのですが、

 

結局、フラスコの中のこの人なんだったんだっけ、とか、

ホーエンハイムってどうあれだったんだっけ、とか、

果ては、最後の戦いってどんな感じだったっけ、なんて。

そんな感じで。

 

でももう一度深く振り返る間も無く社会に身を投じ日々を過ごすことに精一杯で。

たまにアニメ見る普通の人の生活になっちゃってたんだなと。

 

そんなあれこれが、すごく「さみしい」ってセンチになっちゃったのでした。

 

 

エド側だった当時、大佐側な今(年齢的に)

当時、エド達とちょうど同年代だった私。

エドは強くてカッコいいし、もっと年上かと思っていたら15歳という年齢を知って「同じくらいなんだ?! 」と驚いたのを覚えています。

 

話の中で、エド達を子どもだなんだとするシーンがある度に、「なんで大佐達はエドとアルを子ども扱いするんだ」って不思議だったんですよね。

 

もう15歳なのに。

国家錬金術師の資格もとって、十分に立派なのに! って。

 

 

 

あーーーーもーーーーー。

そうね。15歳だったんだよね、と。

今思い返すと、たったの15歳がなんてもの背負ってんだって感じですよね。

そりゃ周りの「大人達」はあぁなりますよ。ってな。

 

 

ストーリー部分の原画を見ていて、読んでいた当時はあまりピンと来なかったハボックと大佐のやりとりなんかがあって。

でも今は、「わかる」って思っちゃったり。

組織と個人は違う、ってことだとか。

 

今読むと、また違った感想を抱けて面白いんだろうな〜。

 

 

原画の感想

 

もう、すごいすごい!

デジタルもいい絵はたくさんありますけど、やっぱりアナログもいいですよね〜!!

筆の跡とか。

絵の具の盛り上がりとか。

絵の具の掠れた感じとか。

 

ハガレンのカラー絵は、いつもこのアナログ感いいな〜好きだな〜と思っていましたが、改めてちゃんとアナログでずっと描かれていたんだなっていうのを見ると、感慨深いというかなんというか。

もう興奮して凝視凝視。

 

漫画系の原画展って、私の知る限りあまり作品の素材についての表記がされないですよね。たまに作者のコメントが記載されていて、そこから「なるほどリキテックスか……(知ったか)」って読み取ったり。

知ってどうすんだ、なんですけど、全部、どんな画材で描いたのか知りたい〜。

 

 

『デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』感想 〜思い出しか語れない〜

「今日のアニメはなっに見ようかな〜」とアマゾンプライムうろうろしていたらふと見つけたこちら。

 

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見放題が終了?! の、デジモン?! え、映画??

 

そう、私はこの日この時まで『デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』という映画が放映されていたことすら認知していなかったのでした。

 

 

1999年のあの頃

日曜日の朝(たしか)。

放送クールとかの概念がまだなかったため、いつものように楽しいアニメを見ようとつけたら突然始まったアニメ。

ポケモンも好きだったから、こっちのモンも可愛い〜! とすぐに魅せられてハマる。

太一たちと同世代だったのもあって、子供たちが冒険している様がすごく楽しかったな〜。

続く02もハマり、「タケルがデカくなってる〜!」って驚いたり「太一たちが大人(中学生)になってる〜!」って驚いたり。

 

その後のテイマーズもフロンティアも、確か最初は見たんですが途中からあんまりな〜と思って見なくなってしまいました。

 

 

いっさい見ていない『デジモンアドベンチャー tri.

あれから何年経ったでしょうか。

あんなに世界の中心だったデジモンだったのに、いつしか離れ、いつしか忘れ。

 

そんな中突然入ってきた映画の知らせ!

 

……なのに、当時やっぱり忙しいからだのなんだので、見に行かなかったんですよね。

続き物だったのもあり、気づいた頃には2章だか3章だかで、途中から見るのもな〜なんて。

しかも、ネットでチラッと見かける評判があまりよくないっぽいってのもあって、わざわざ映画館行くまではな〜って。

全部DVD出てから見るかーなんて思っておりました。

 

それも、たぶん出揃って早数年。

「そのうち」と思っている間にもうずっと見ずにおりました。

 

 

 

「懐かしいな〜見たいな」っていう思いはもちろんあったんですよ。

でもね、「そのうちでいいか」ってなっちゃう、この悲しさ。

 

 

そこに突如舞い込んできたラスエボ!!

 

本編を見て気づいたけど、CMは見てた気がする。

けど、tri.の一連かなぁと思って気に留めてなかったんですよね。

 

アマプラのあらすじ見るとこれ単体で見られそう。

 

なにより終了間近だし!!

 

ってここにこれが理由に入るあたりが、ゆるおたなんだよな〜。

 

 

 

 

デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』感想

冒頭のボレロとか。

Butter-Flyとか進化のシーンとか曲とか。

おおぉぉぉ〜〜!! と懐かしさ込み上げるシーンはあったのですが、他本編は、すーっと見てしまいました。

 

日を分けて家事の隙間に見ちゃったからかなぁ。

あと、思いっきり大人の目線で見てしまって、辛かった。

 

 

未来に広がる無限の選択肢なんて、もう……もうっ……(えぐっっ)

 

って感じで見ちゃったので。あぁ。もう。ダメですね。

 

同年代だったあの頃、から、物語では10年後の話なわけですが、みんなまだ大学生っていう。もうこちとら大学生ですら輝かしく若かりしあの頃なんですよ。ピッチピチ。

進路どうしよう……って悩んだり、仲間と疎遠になったりするもんだよ……って切なくなったりそんな日々も、もう遥か彼方。

 

私はもうとっくに「アグモン」たちとお別れしちゃったのだよなーって。

とてもセンチになりました。

 

あと、ゲンナイさんが誰かわからず、あ〜! そんな人いたようないないような!

って感じで、結局あの人なんだったの?

 

 

そうやって別のことが気になって、童心に戻りきれなかったというか。

 

意識不明のみんながいる世界で、こんな世界で生きてちゃダメだー!

宿命は変えられなくても、運命は変えられるー!

とかも響かず。

 

むしろ、

なんで?! なんでダメなの?! 思い出の中に浸って生きてたっていいじゃん!

って思う始末。

疲れてんのかな、私。

 

そんな感じで、すーっと見てしまったのですが、

最後の別れのシーン。

 

 

 

太一、おっきくなったね

 

で、やられた。

 

 

 

んあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ(泣)

 

 

もうダメなんだってぇ。

この、あとちょっとで別れがやってくるってわかってる状況での、その直前の静かな時間がすごく苦手。大ヒットしちゃうから。

あ〜やばいやばいって堪えていた中での、この一言ですよ。

 

 

ああああああああああ(泣)

 

 

太一も、私も、あの頃デジモンを見ていた子供たちも、みんなおっきくなったんだよねぇって。

みんなそれぞれ、大人になってどんな人生を歩んでいるのかなぁ。

変わってしまったこともたくさんあるし、変わらないこともたくさんあるはずだし。

 

 

私も、もうあの頃のように童心には返れなかったけど、見終わった後にこうやって何時間も余韻に浸っていられるくらいの想いはあったなぁって。

 

 

 

 

 

 

ストーリー以外の話

 

いやしかし、絵が綺麗! 動きが綺麗!

今のアニメ! って感じだけどちゃんとデジモン!! って感じで!!

 

ヤマトがかっこ良すぎてやばくないですか?!(語彙)

 

顔もイケメン!

姿いでたちもイケメン!

言動もイケメン!

バイクもイケメン!

 

とイケメンのフル装備。

あ〜〜〜! バイクかっこい〜〜!

20年前も「きゃー! ヤマトかっこい〜!」なんて見てましたが、立派な青年姿になっちゃってお姉さんびっくりしちゃった。

 

 

正直、キャラの声が変わっちゃってるのはずっと耳が馴染まずだったけど、これも「変わっていくこと」のあれなんだろうなって。

デジモンたちの声が一緒なのが余計。

デジモンたちは変わらないけど、人間は成長して変わっていっちゃう。

 

いやでも本当、アグモンたちは同じ声で嬉しい〜!

やっぱりアグモンはこの声だよね、ってね。なるよね。

 

 

20年越しに思い出したこと

 

私、02の最終回見ていない!!

 

 

なんでかは忘れたんですが、見れなくてビデオ撮ってたのに撮り逃してただか、撮ったビデオを友達に貸してそのままだったか、そんな感じの「後で見ようと思ってたらそういえば見てない」。

 

そのうち、そのうち、と思っている間に、あっという間に時間が経ってしまったよ。

 

そういえばなんですけど、私、無印も途中十数話見てないんですよね。

ある日突然、「もうアニメなんて見ないわ」なんて思い立った日があって、パタリと見るのをやめてしまったんですよね。

でも弟がずっと見ていて、これまたある日、横で弟が見始めたのをふと横で見ていたら、「あ、やっぱり面白そう」と無事に舞い戻るという。

だから実はヒカリちゃんとテイルモンの初登場シーンを知らない。

 

思い返すと、そういう些細なきっかけで普通の人はアニメや漫画を卒業していくんだろうな。

 

 

 

ちなみに、すっごいどうでもいい話だけど、私は『CLANNAD AFTER STORY』の最終回も見ていません。

こちらはあえて見ていません。

 

だって見たら終わっちゃうじゃんか。

私が最終回を見るまでは、ずっとこのお話は続いているんだ——って思って生きています。

 

余命宣告を受けて、人生を終えるときに最終話を見ようかなって本気で思っている。

 

 

 

『ゴールデンカムイ』297話「五稜郭脱出」感想

今週も激闘。何ページもあるはずなのに本当あっという間。

 

 

ソフィアを庇う仲間たち

榴弾を投げ込まれ、咄嗟に庇う仲間たち。

極東で共に戦い国境をも越えついて来てくれた仲間たち。

自分を守るために自分の身の上で、今目の前で散っていった仲間たち。

 

もう出来事が大きすぎて普通だったらお話1話使えるようなところを、たった2Pで描かれているのがまた。

 

そしてそれを動じることなく戦い続けるソフィアさんがまた。

こんな戦いを幾度も乗り越えてきたんだなぁとか、

仲間が目の前で死んだとかを気にしていられないくらいの激戦なんだなぁって。

 

 

いつの間にか外に出ている月島と鶴見

てっきり建物の中でのやりとりの続きが描かれるものと思っていたので、いつの間にか外に出てる?! と。あの後、なんのやりとりもなく出たとは思えなくて、いったいどんな会話がなされたのか……。

鯉登少尉の後をついていったわけではなく、鶴見中尉のそばにいるんだもんね。つまりね、どういうことなの。

月島、どっちなの、あなたはどっちなの……。

 

袋は撃つなッ 権利書と子供だッ

ヤンジャンアプリのみんなのコメントを読んで気づく鯉登少尉のイケメンさ。

 

逃げる白石に対して部下に出す令が「殺せ」じゃなくて「そいつを止めろ」。

袋の中身は権利書と子供だから撃つな。

袋の紐でなくて白石の首を切り落として止めることもできただろうに、そうしない。

 

ここを、「ふんふんそうよね~袋を撃って権利書に穴が開いたら大変だもんね~」ってさらさら流してしまう初見の自分。。

確かに、権利書を守りたいだけなら「権利書だ」だけでいいはずだもんね。

「子供だから」って理由も付け加える鯉登少尉っ!

 

永倉じいちゃん

橋の上で登場した永倉さんのコマ、めっっっっちゃくちゃカッコよかったですよね。

ページめくった瞬間にバッ! と画面に飛び込んでくる感じ!

 

溶けるアシリパさん

読んでてさらーっと流してしまった!

「やたら濃いけど汗かな?」って。

こちらも、みんなのコメントでビール工場でもあった描写だと知り。

こういうのを気づかず覚えておらず流してしまうので、コメントでより深く読めて面白いです。

ありがとう、ヤンジャンアプリとみんなのコメント。

 

捕食者鶴見

普通に「ひぃっ!」って声出た。

完全にロックオンされた。恐いぃぃぃぃ。

 

かかってこいや 薩摩の芋侍がぁ!!

じいちゃんカッコ良すぎる。

 

歴史を知らなすぎる私

日本人として、大人として、恥ずかしいくらいに歴史を知らなすぎる私……。

 

この「かかってこいや」の永倉さんのセリフを読んで、「そっか新選組と薩摩ってなにか因縁あるんだっけ?」レベルの私。

 

煽り文の「次号、思い出す鳥羽・伏見の決死隊!」を読んで、なにかあったらしい……レベル。

 

箱館」と聞いて、なにもピンと来ない。

五稜郭」と聞いて、なにもピンと来ない。

 

前にあった、独房に入っている土方さんとこに永倉さんが扉ごしに話してるシーンでも、新選組に何があったかわからず軽くポカンな私。

 

ゴールデンカムイの連載が終わったら、歴史の勉強をしよう。

そしてまた1話から読み返すんだっ。きっとより深く楽しめて楽しいはずだっ。

 

抱き枕

 

推しキャラの出番が少なくて寂しいけど今出番来たら安否が心配だから出ないで欲しいという複雑な心境の中投下された抱き枕!

 

むっぅっっっちゃくちゃ眺めまくった。

そして感じてしまう物足りなさ。

 

野田サトル先生のご意向により、胸毛増毛されないかな。

『ゴールデンカムイ』294話「静寂」感想

あぁっ……。あぁぁあっ……。

 

 

 

トニさーーーーーん!!!

 

 

 

トニさんの死に際

人の死に、あぁだこうだ形容をつけるのってあれだけど、あの描写は美しかったよね。

 

ふと音が聞こえなくなって。あれ、なんか静かだなって思ってそのまま意識が途切れ。

人って死ぬときはあぁなるのかもしれない……って自然と納得してしまった。

 

漫画なのに、止まっている絵なのに、映像を見ているかのような。

「静かな音」が聞こえてくるような。

 

あ〜〜うるせぇ…… 

あ〜〜…耳痛ぇだろ!! クソが〜!!

トニさんの「目」でもある耳が、聴覚と視覚の二重分の役割を担っている耳が、戦場の爆音の中で痛めつけられている感じだったのがまた。

満身創痍だったトニさんの耳。

 

静かに、安らかに眠れたのかなぁ。あるいはそうであって欲しいと願ってしまう。

 

 

 

ゴールデンカムイは、前のビール工場での尾形の建物スルーショットも映像でしたよね。

あれは凄かった。確実に動画だった。すごいよなぁ。

 

 

土方さんとの別れ際の言葉、

どうせオマケの人生だ

っていうのが、なんかいいなぁって。

 

 

 

感想でみんなも言ってるけど、あおり文が本当にいい。先週に続き今週も。

 

闇と爆音の中でも 貴方の名が聴こえた。

俺の名を呼ぶ 貴方の名が聞こえた。

 

これを読んで、そうかそうかつい忘れてたけど、トニさん目が見えないんだよなと。

あんな戦闘の中だったら目が見えててもガタブルだろうに

闇の中で、爆音の中で視覚代わりの聴覚も存分に使えない中で。

貴方の名を聴き、その人の為に、最後まで戦いきったんだなぁって。

 

 

自分の為に生き、誰かの為に死ぬ。

ってなぁ。ねぇっ……!

 

 

からの今週はニカイダーキック!! なのがよい。

次号、炸裂! 0距離散弾銃ッ!!

 

って、もうめっちゃ0距離で炸裂してるから!!!

っていう。笑

 

鯉登

 

前へ!! 前へ!!

 

のシーンめっちゃカッコ良い。

あぁあぁなんかついに鶴見中尉とやりあうのかなぁってハラハラする。

 

あともすパパは死んでないと信じてるっ……!

ヤンジャンアプリのコメントでもみんな言ってるけど、フレディしながら帰ってきてくれると信じてるっ……!

 

 

 

いやー。

先日の無料開放時に本誌に追いついて本誌派となったんですが、いや〜もう毎週ハラハラする! 心臓が持たない!

やっぱり単行本でまとめてゆっくり……とも思うけど、最後まで一緒に見届けたい!

 

 

五稜郭前にも出てたんか

記憶力がなさすぎる私……。

刺青の暗号を解いて、「場所は五稜郭だ!」ってなった時、この漫画の中で五稜郭初登場だと思っていたよ……。

 

で、今週の話で鯉登少年の絵が出てきたのを見て、「ん? 攫われた時の鯉登少年? なんだこの建物?」ってなって。

んで199話読み返して、「五稜郭前にも出てたんか!!」と。

 

結構重要な情報だったろうに、もすパパのシャカシャカと鶴見中尉のパッチリ☆ウィンクですべてが吹っ飛んでいたよ。

 

 

 

話はだいぶ戻るけど、前も土方さんがキロランケのことを「おそらくのっぺら坊の仲間はロシア極東のパルチザンだ」って言ってた時も、

 

えぇー?!  キロランケは北海道のアイヌじゃないんだ?!

ってビックリしながら読んでたけど、読み返すとキロランケ、初登場の時に自分で「アシㇼパの父と一緒に、海の向こうから渡って北海道にやってきた」って言ってるじゃん、と笑。

 

自分の記憶力に不安を抱きながらも。

 

 

 

 

 

 

自分で書いた感想読んで泣く日が来るなんて

だから文章綴るのはやめられない。

 

ハイキュー!! 原作最後までのネタバレ要素あります。

 

日向の後輩的な可愛らしさ

 

久々にハイキューの1期を見返していたら、日向の後輩的な可愛らしさを改めて感じて。

 

 

スパイク好きです! ってキラキラした目をさせたり

届いた部活ジャージを着てめちゃめちゃ喜んで先輩たちに「ほら!」って見せて回ったり

自分はレシーブ苦手だからレシーブうまい人がやるリベロかっこいい! って

旭さんにエースすごいすごいって慕っていったり

常に常にひたむきに頑張っている姿とか

 

あー本当くすぐられる! 可愛がりたくなる!

そりゃ頭ワシワシしたくなったりアイス奢りたくなったり良くやったなーって抱き抱えたくなったりしちゃうよね! っていう。

 

 

あとほんの30cmがなかろうとも

 

んで、懐かしくなって、自分で書いたこのブログのハイキュー1期の感想をまた読み返していたんですよ。

 

そしたらこんな一文が。

 

日向も、本当に、あの運動神経とバネがあって、あとほんの30cm身長があったら、もう世界のどこまでもいけるようなすんごい選手になってたんだろうなって。

 

 

 

読んだ瞬間に泣いた。(ガチ)

 

すんごい選手になってるじゃん!!! って。

身長があと30cmなかろうが、彼は自分の力で”世界”をもぎ取ったんだよなぁって。

そしてこれからも世界のどこまでもいくんだろうなぁって。

 

 

確かに、あのバネがあって後30cm身長があったら世界がほっとかなかっただろうよ。

でも、誰にも求められなくても誰にも見向きされなくてもそんなこと関係なくて、

自分が行く! って決めて世界に飛び出して、自分から求められる人間になった彼。

 

 

もう後輩可愛いなんて言ってらんない。

もはやめっちゃ尊敬する人生の先輩。

 

 

 

いやー。

何度何度振り返っても、何度も楽しめる。

本当に素敵な作品です。

人の慣れって残酷

ハイキューの1期を見直していてふと「慣れって残酷だなぁ」って思っちゃったのでつらつらと。

 

初めてハイキューのアニメを見た時

 

もう動きに大感動!

 

はぁ! 今の! 今の動き!

今のカット!

今のスパイク!

今のサーブ!

 

ってな感じで、バレーの動きが凄くカッコよく描かれていて、とてもとても感動しました。

 

 

なのになのに。

先日4期まで見終えた段階で、ふと1期を見返してみたら。

そんなに感動しなくなっているんですよね。

 

初見じゃないからっていうのもありますが、たぶん、ハイキューアニメの動きに慣れちゃったから。

1期を見終えて、2期3期4期と続けて見るうちにその「感動した動き」があたり前になっちゃって、

「あれ、ここのカットめっちゃ感動した覚えあるけど、こんなだったか」ってなっちゃったんです。

 

 

新海誠監督の『秒速5センチメートル

 

これも公開当時くらいに見て、絵の綺麗さに、もう驚愕は驚愕。

大げさだけど、歴史が変わったと思ったわよ。

 

これは、これはアニメなの?!

人の手で描かれているの?!(アニメ制作に詳しくないので、CGなども使われていたかもわかりませんが)

それが動いているの?!

と。

 

が、こちらも、

続く『言の葉の庭』でも、雨粒の描写に綺麗綺麗と大感動し、

君の名は。』でもすべての背景に感動し、

を経て最近見返したところ、

「あれっ……こんなだったっけ」と。

 

 

2007年当時見たあの感動は確かに本物だったはずなのに。

あれから何十年、詳しくないからよくわからないけれど、きっと描写技術とか精度とか(あるいは「ここまで作り込むものだ」という基準)もたくさん発展したのでしょう。

新海誠作品以外にもたくさんの「感動する綺麗な絵のアニメ」を見てしまい、「綺麗な絵のアニメ」があたり前になってしまったんだなぁ……と。

 

 

「こんなだったっけ」と感じてしまう自分が、とても寂しい。。

 

 

現実世界でも塗り替えられていく「最頂点」

 

オリンピックだの何かの競技とかもそう。

100m何秒で走りました!! っていう世界新記録が出たとしても、その何年後かには塗り替えられて。その記録を出すために途方もない努力があったはずなのに。

栄養とか筋肉研究とかは発達してきたかもしれないけど、人体なんてそうそう進化しないはずなのに。

人類の最速記録がどんどん更新される。

 

他には、フィギュアスケートだってきっと、初めて誰かが4回転飛んだ時世界は沸いただろうに、今は飛べることが普通になって。

次は5回転なんだろうけど、物理学的にそれは人体で可能なの?

 

 

「人類はどこまでも高みを目指せるんだ!」

 

ってアスリートならば闘志を燃やすところなのでしょうけど、

 

自堕落一般人な私は、「どこまで求めればいいのかな」ってちょっとバキバキに心折れちゃう。

 

 

 

そうしていつしか、5回転ジャンプを飛べる人が出てくるようになった時、4回転ジャンプは観客からすると「あたり前」になっちゃうんだろうなぁと。人体が氷上で4回転飛ぶっていう難しさは変わらないはずなのに。

 

 

 

そんな感じで、人の慣れって残酷っていうか、昔すごかったものがいつしかあたり前になっちゃうのって、あれだよね、な日記でした。